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[2008年8月]の記事リスト

2008年8月27日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 十一~

ほうろく11.jpg 2号窯は、江戸時代のほうろくなどの破片が出土したことから、文献にある三見中山の「ほうろく窯」であることがわかりました。残念ながら窯の残存状況は良くなく、天井部や壁は残っていませんでした。そのため全体像が明らかでないところもありますが、おおむね大きさは長さ約2.5~3m、幅約1.5mほどであり、斜面を利用してつくられた小型の登り窯であるとみられます。床面には窯内を仕切る石列がありました。窯の周辺には覆い屋を支える柱を建てた穴も発見されました。
 出土遺物にはほうろく、七輪などの破片があることから、「ほうろく窯」の名のとおりほうろくを中心にその他の土器を焼成した素焼き窯であるとみられます。

2008年8月20日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 十~

ほうろく10.jpg 1号窯の様子です。1号窯は炭焼き窯であることがわかりました。天井部は崩落して残っていませんでしたが、窯内部の大きさは幅2.5m、奥行き2.9mで、残存する高さは約1mほどです。床面は炭の付着で黒色に堅く焼けしまっていました。窯の西側には焚き口と、製品を出し入れする出入り口が別々に設けられていました。窯床には排水溝が埋めてあり、出入り口の下を通って、窯外へ水分を排出する構造です。奥壁には煙出しのための煙道口があり、窯外には土管を利用した煙突の施設が残っていました。
 この窯の時期は近代以降の炭焼き窯であるとみられます。

2008年8月19日

まんよう 四

まんよう4.jpg 8月になって発掘現場もますます忙しくなってきました。整理室では今日もジグソーパズルのような大量な土器の破片が机の上に広がっています。今年1年目の私はこの土器のパズルに悪戦苦闘する毎日です。
 出土遺物は、掘り出された場所や出土年月日などの情報が文字や数字で書かれたビニール袋に入れられ、発掘現場からセンターに持ち込まれます。そこにはSK、SD、SE、SP・・・などの文字。それぞれ出土した遺構の種類を表しているのですが、これが似たような表記ばかりで、私などはよく混乱してしまいます。〈糸〉

2008年8月11日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 九~

ほうろく9.jpg 「三見ほうろく窯跡」の調査です。調査前は1基と思われていましたが、遺構検出の結果、2基の窯跡が発見されました(写真)。写真左が1号窯、右が2号窯です。当初1号窯の一部が地表面に観察されたため、これをほうろく窯跡と考えていましたが、調査の結果、この窯は近代以降の炭焼き窯であることが判明しました。
 2号窯は1号窯の南に発見されました。小型の登り窯で、ここからは江戸時代のほうろく、七輪の破片などが出土したことから、2号窯が絵図に残る江戸時代の「ほうろく窯」であると考えられます。
 2基の窯は、土層観察の結果、2号窯が使用されなくなった後に、その一部を埋めて整地し、1号窯が築かれたことが明らかとなりました。

2008年8月 6日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 八~

ほうろく8.jpg 今回の調査では、ほうろく茶屋跡の前を通る赤間関街道の一部も調査対象となりました。表土を除去したところ、幅20~30㎝、深さ5~10㎝の溝状遺構が2条確認されました。近隣の街道跡の規模から判断して、道路の側溝と考えてよいでしょう。この側溝に挟まれた部分が道路(街道)であり、幅は約2m、当時の1間の長さであったとみられます。なお路面には石敷きや整地土などは確認されませんでした。
近世街道の発掘調査は県内では少なく、当時の道路施設や規模を考えるうえでひとつの資料となるとみられます。