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[2008年9月]の記事リスト

2008年9月29日

発掘調査中です ~上り熊遺跡 1~

上り熊1-写真1.jpg 上り熊遺跡は、防府市大字台道に所在する遺跡です。昨年度から引き続いて発掘調査を進めています。遺跡は、標高約7~10mの台地状地形の先端部に位置しています。
 当遺跡は、鎌倉・室町時代を中心とする集落跡です。これまでの発掘調査により、掘立柱建物跡や墓、土坑、井戸、溝状遺構等が見つかっています。また、当時の人々が使っていた、土師器や瓦質土器と呼ばれる焼き物の皿や足鍋、すり鉢、漆製品等が出土しています。
上り熊1-写真2.jpg 今回は、それらの中から、写真1の足鍋が見つかった様子をお伝えします。足鍋は焼き物の鍋で、底に三本の足がついているのが特徴です。室町時代の頃の山口県でよく使われていました。写真2のように、足鍋は伏せた状態でほぼ完全な形で出土しましたので、伏せた足鍋の中に何かあるのではないだろうかと、期待が高まります。
上り熊1-写真3.jpg さて、いよいよ足鍋を取り上げ、中の様子を見るときが来ました。その結果が写真3です。残念ながら、皿や銭などの遺物を確認することはできませんでした。
 足鍋が見つかった穴は、足鍋がすっぽり収まる大きさに掘られていて、すぐに人の手で埋められたものと考えられます。この穴は地鎮などのお祭りやおまじないをするのに使われた穴と思われます。
 これからも、新たな発見を楽しみに、発掘調査を進めてまいります。

2008年9月20日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 十三~

ほうろく13.jpg 発掘調査の成果を一般に公開することを目的として、発掘調査報告会を萩市三見公民館で開催しました。調査成果の一般公開としては、発掘調査の現場で行う現地説明会がありますが、今回は現場周辺工事による安全性や、現地へのアクセス等を考慮して、発掘調査報告会というスタイルをとりました。
 当日は約30名の方が参加されました。報告会は、まずスライドを映写して、発掘調査の進め方や発見された主な遺構や遺物を紹介しました。その後実際に出土した遺物を展示し、その解説を行いました。参加者の多くは遺跡のある三見の歴史に関心のある方が多く、興味を持って聞いておれらました。また出土した「ほうろく」については、三見特産とされることから、熱心に観察されていました。

2008年9月 9日

発掘調査中です ~三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡 十二~

ほうろく12-1.jpg 写真上は1号窯の煙出し部分の断ち割りの様子です。基礎に煉瓦を組み、その上に土管を設置し、さらに石積みをして煙道としていました。これに土管を利用した煙突がつくものとみられます。これにより1号窯の構造がほぼ明らかになりました。
 2号窯は、その前面を拡張して掘り下げました。ここからも街道の側溝が検出されたことから、街道と窯の位置関係がよくわかります(写真下)。街道そばで煙をあげていた「ほうろく窯」の当時の様子が見て取れるのではないでしょうか。
ほうろく12-2.jpg 以上、1号窯、2号窯の調査を終え、「三見ほうろく窯跡・ほうろく茶屋跡」の現地調査はすべて完了いたしました。調査中は、地元ならびに関係機関にはご協力いただき、まことにありがとうございました。今後は資料整理を進めて、調査報告書の作成にとりかかる予定です。

2008年9月 3日

「雪舟作庭園伝承」の謎にせまる ~常徳寺庭園遺跡展から~

常徳寺庭園.jpg 当センターでは、「常徳寺庭園遺跡展」を開催中です(9月30日まで)。常徳寺庭園(山口県阿東町)や常栄寺庭園(山口市)など、雪舟が作ったとされるいくつかの庭園を紹介しており、見学者の関心も高いようです。これらの庭園は、いずれ劣らぬ名園ばかりですが、雪舟作庭を裏付ける資料は、確認されておらず、伝承があるにすぎません。
 常徳寺庭園は、江戸時代に萩藩が編纂した地誌『防長風土注進案』に“雪舟の築庭、常徳寺境内にあり”とあり、発掘調査(平成8~10年度実施)では、室町時代に作られた庭園であることなどがわかりました。しかし、作庭者に結びつく手がかりは、残念ながら見つからず、これからの課題となっています。興味深いのは、同じ注進案に“この庭の書画が当寺(常徳寺庭園)に伝来していたが、故ありて萩の山田何某様へ譲与した”との記載があることです。おそらく立派な書画であったことが想像でき、当時の常徳寺庭園のようすをうかがう上できわめて貴重なものであり、その発見が切望されています。

2008年9月 1日

発掘調査中です ~長谷遺跡 1~

長谷1.jpg 長谷遺跡は、山口市小郡下郷長谷地区に位置する遺跡です。遺跡の南側には長谷川が流れていて、遺跡は長谷川の河岸段丘上に形成されています。長谷地区周辺では、考古学的な調査が行われた事例が非常に少ないので、今回の調査によって、その歴史の一端が明らかになることが期待されます。
 調査は、県道敷設工事に伴い、6月上旬に開始し、現在は、建物の柱穴などの遺構を検出しています。これまでの調査では、中世の遺物や、縄文時代の遺物が出土しています。縄文時代の遺物には、大分県姫島産の黒曜石も多く含まれており、縄文時代に長谷遺跡付近で活動していた人々の交流範囲の広さがうかがえます。
 次回は、調査で発見された遺構の紹介を通じて、長谷遺跡がどのような遺跡であったのかを、明らかにしていきたいと思います。